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手榴弾(しゅりゅうだん)は大日本帝国陸軍が1907年(明治40年)に最初に制式化した手榴弾である。初期には壺型手榴弾〔陸軍省『兵器弾薬貸与の件』C04014099000〕〔陸軍省『弾薬保管転換の件』C04014669000〕と書類で表記されたが、後には単に手榴弾と呼ばれ、採用年や特徴を現わすことばをつけなかった〔参謀本部『必要に際し関東都督に関東兵器支廠及旅順要塞兵器弾薬等を使用せしむる件』大正8年の書類。C03022474700〕。 == 概要 == 日露戦争中に日本陸軍は急造の手榴弾を製造し、ロシア軍との陣地戦で使用した。この急造手榴弾は有効であった〔教育総監部参謀長 中村覚『手榴弾の制式制定の件』C06085122500〕ため、相当数の手榴弾が製造された。日露戦争中の1905年(明治38年)3月、東京砲兵工廠では8,500個を製造するよう指示されている〔軍務局砲兵課『壷形手榴弾外4点製作の件』03026632300〕。これは書類の表記では壺型手榴弾と呼ばれた。こののち壺型手榴弾は1907年(明治40年)に制式化を検討され、同年3月には制式化された。この時の名称は単に「手榴弾」と表記されている〔陸軍技術審査部長 有坂成章『手榴弾制式制定の件』C07041793900〕。 こののち手榴弾は数度かの改良を経て、1921年(大正10年)に曳火時限式の十年式手榴弾が制定されるまで配備された。制式手榴弾のほか、投擲を練習するため、内部の炸薬を抜いて、煙を排出する穴を弾体に設けた演習用手榴弾が製造され、配備された〔『演習用手榴弾備付稟申の件』 C07072724300〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「手榴弾 (日本軍)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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